瓦の普及の陰の功労者は大岡越前守忠相。
ここのところ、瓦の歴史関係を調べていたら大岡越前守忠相の名前が出てきました。
時代劇と言えば、大岡越前と言われるくらいの人気番組でしたから見たことがある方は多いですよね。
私も祖父母が大好きでよく一緒に見ていた記憶があります。
さてさて、瓦との関係に戻ります。
時は江戸時代までさかのぼります。
8代将軍徳川吉宗のとき、防火対策のために江戸の町屋の瓦屋根化を推奨するようになったのです。
そしてこの政策の実施の任にあたったのが、江戸南町奉行の大岡越前守忠相だったのです。
町名主に町屋を瓦葺きにしてはどうかと提案したのです。
ところが町名主たちは「瓦葺きにするためには柱から取り換えねばならず、経済的に不可能」と断りました。
大岡忠相は諦めずに、「瓦葺きが無理なら塗屋(ぬりや)にしてはどうか」と妥協案を出しましたが、名主たちは「原料の土や石灰の入手が難しい」と反対したのです。
さらなる妥協案も出したが、総論賛成、各論反対で決着がつきません。
今も昔もできない理由を並べたり変わらないものですねぇ(笑)
それでも大岡忠相はめげずに説得を続け、助成措置を講ずるなどして江戸の町を少しずつ瓦屋根に変えていったのです。
三州の瓦は江戸へも出荷されていたと考えられるので三州瓦にとっては大岡越前守忠相は恩人とも言えますね。